全ての人に“生”のオーケストラを
小さな子どもとその親も、障がいのある人たちも、普段コンサートに来られない人たちに音楽を届けたい。誰もが生のオーケストラを聴ける社会にしたい——。公益財団法人名古屋フィルハーモニー交響楽団はそのために、福祉コンサート「夢いっぱいの特等席」を毎年秋に開いてきた。声を出しても、立ち上がってもいい。そんな自由なコンサートでは、奏者、観客、指揮者、スタッフが音楽を通して一つになる。“一体感”が何よりの魅力だ。
しかし2月下旬から、定期演奏会も含め、予定していたコンサートが次々と中止になった。「誰も生のオーケストラを聴けない世界」が、突然現れた。フルート奏者の大久保成美さんは「怖かった」と、最初の日々を振り返る。
「演奏会をやるのが当たり前の日常だったので。すぐに収束するとは思えなくて、演奏がないと感覚が鈍ってしまうかもしれない。コンサートが次々となくなって、もう演奏はできないんじゃないかと考えたこともありました」
生の音楽が届けられない中、楽団ではYouTubeなどでの動画配信にも挑戦した。少人数編成で演奏したり、奏者の何気ない生活を紹介したり。大久保さんもフルート四重奏でモーツァルトの曲を披露した。
「やってみたら、『観たよ』と声をいただいたり、喜んだりしてくれた声がダイレクトに聞けました。もちろん生の演奏を聴いてもらうのが理想ですが、工夫をしながら演奏を届けたいと思います」
「一旦なくなったら、元には戻せない」
楽団専務理事の松本一彦さんは「経験したことのない事態が続いています」と話す。2、3年かけて準備してきたコンサートが次々と取りやめになり、2月末から6月までで、中止や延期となったコンサートは17を数えた。
「一度に全てを中止にしたわけではなく、『もしかしたら開催できるかもしれない』と準備はしていました。しかし、次のコンサートの準備を進めながらも、一つ、また一つと中止が決まり、払い戻しの作業が入る。海外の奏者や指揮者との連絡も必要です。コンサートは開けないまま、普段の倍以上の仕事がある状態です」
松本さんには「交響楽団は一度なくなると元には戻せない」という危機感がある。今年の福祉コンサートも準備を進めていて、すでに5000人を超える申し込みがあるが、開催できるかどうかは誰も予想ができない。
「芸術がなくなったら、人間は何を楽しみにするのでしょうか。芸術は、人が作り上げた文化です。そして、社会に必要だから残ってきた。何とか守っていこうとしています。文化そのものに対する考え方が問われていると思います」
「奏でる人」と「聴きたい人」がいる限り
6月、楽団が名古屋市内にある宗次ホールと企画したのは「いきなり♪コンサート」。チラシもチケットも作らず、告知はホームページやメールのみ。数カ月先の予定が分からない状況を、逆手に取ったコンサートだ。第1回(6月14日)の開催決定は10日前。出演者が決まったのはその前日だったという。ホームページにはこんな言葉を載せた。
〈「奏でる人」と「聴きたい人」がいる限り、コンサートはできるじゃないか。コンサートが消滅した世界を経験したわたしたちは、その原点に帰ります〉
「僕らの仕事は人の前で演奏して、聴いてもらって成り立っている。日常が失われて、初めて分かるありがたみでした」とトロンボーン奏者の田中宏史さんは言う。
「もちろん一人でも演奏はできますよ。でも、一人ではつまらない。みんなでリモートで録音して、編集して、できた時には楽しいけれど、そんな瞬間にも考えてしまいます。人と一緒に演奏したい、早くできるようになったらいいな、と」
7月、楽団は4カ月ぶりのコンサートを「無観客」で開く。感染を防ぐガイドラインに従って“密”を避け、奏者、観客の動きをチェックするためだ。動画配信は考えつつも、目的はそこにはない。再び“生の音”を届けるために、開催方法を探る演奏会。
「そもそもオーケストラは、生でしかあり得ませんでした。最初は貴族がお抱えでやり始めて、小編成の楽団が街にできて広がった。それが録音されるようになり、シンセサイザーも出てきて、『取って代わられる』と言われながらも、生のオーケストラは残ってきた。これからも、残り続けると思います」
「生の音の良さですか? これ(オンライン取材)と同じです。媒体を挟んでしまうと、やりとりが難しいですよね。同じ空間にいたらもっと伝わるものがあるのに。楽器から出る細かな振動や空気感は、生でないと伝わりづらい。だから、生で聴いてほしい。人を減らしたり、距離を保ったり。生の演奏を届けるために、いろんな形を探っていきたいと思います」
困難を極める視覚障がい者の生活に寄り添う
“密“を避ける、マスクを着ける——。感染症対策で勧められる“新しい生活様式”が広まる中、「視覚障がい者の生活は困難を極めている」と公益財団法人アイメイト協会代表理事の塩屋隆男さんは訴える。視覚障がい者の日常生活は、目の見える晴眼者とは前提が異なる。その視点が、見落とされがちだという。
「視覚障がい者は、視覚から得られない情報を、匂いや音で補っています。ですが、マスクをしていると感覚がずれてしまう。触れることも大きな情報の獲得手段ですが、今はそれもはばかられる。視覚情報なしで周囲との適切な距離を保つことは難しい。晴眼者に歩行を誘導してもらうことにも配慮がいる。非常に大きな不自由です」
障害者手帳を持つ視覚障がい者は、全国に31万2千人いる(厚生労働省調べ、2016年)。アイメイト協会は1957年の設立以来、アイメイト(盲導犬)の育成や視覚障がい者への歩行指導を通して、視覚障がい者の自由な歩行を支援してきた。協会では歩行を助ける犬のことを、「盲導犬」ではなく「アイメイト(私の愛する目の仲間)」と呼んでいる。盲導犬という言葉では「利口な犬が盲人を導く」と思われがちだが、人が主体的に指示を出し、犬がその指示に従って安全な歩行を実現させる対等なパートナーの関係だからだ。
「いま、アイメイトの重要性が増している」と塩屋さんは語る。
「周囲の人から(視覚障がい者へ)の支援がどうしても手薄になっています。その中で、人の助けがなくても自由に歩けるのは大きいです。それに、アイメイトは孤独な時に話し相手にもなる。視覚障がい者は、(普段でも)疎外感を抱えがちです。まして距離を保てと言われると一層。この話し相手(アイメイト)はしゃべりませんが、人の気持ちや言うことをよく理解する。心強い支えになると思います」
「子どもサイト」を立ち上げる
2020年4月現在、協会を巣立ったペアは1386組。「『アイメイトがいてよかった』という声も聞こえてきた」。そう語るのが、広報・啓発担当の溝井祐樹さんだ。
「アイメイトの使用者さんは、課題があっても自分で解決している人が多いんです。普段から生活を工夫される方がすごく多い。ヘルパーさんを頼みづらくて困ったという声もありました。ですが、それ以上にアイメイトがいてよかった、うれしかったいう声が多かったのが印象的でした」
だが、新型コロナウイルスの感染拡大が、活動に与えた影響は大きい。人混みや電車、駅を利用したアイメイトの訓練ができない。視覚障がい者が参加する歩行指導の合宿も5月は中止。啓発イベントも全てキャンセルとなった。支援者による街頭募金も行えない状態が続く。
こうした逆境下で協会が新たに準備を進めるのが、子ども向けの啓発サイト「アイメイト子どもサイト」。アイメイトや視覚障がい者について理解し、どうサポートできるか親子で一緒に考える材料を提供する特設サイトだ。
溝井さんは語る。
「学校での講演会や施設の見学会などが開けない中、できることを始めよう、と。ウェブサイトであれば日本中の人に伝えられる。夏休みの自由研究の調べものにも活用していただきたい。多くのお子さんたちに伝わることを期待しています」
「当面は、デジタルツールを活用することしか道はないと思うんです。ですが、やはり、実際に体験すること、生で見ることで伝わることはすごく大きい。それにデジタルがとって代われるかと言うと、まだむずかしいでしょう。技術の発展を見ながら、新しい方法を模索していかないといけないと思います」
“withコロナ”の社会で、協会の役割は変わるのだろうか。代表理事の塩屋さんは、「協会の仕事、使命は変わらない」と言う。
「(非常時に)一番大きな影響を受けるのが、ハンディキャップを持つ人たちです。社会参加している視覚障がい者とアイメイトのペアを暖かく見守っていただきたいですね。視覚障がい者に対する支援の第一歩は、声がけです。こんにちは、何かお手伝いしましょうか、と。困っている人を見かけたら、遠慮なく声をかけていただきたいです」
“コロナ“の経験を経て社会は変わる。多くの団体が活動のあり方を模索して、試行錯誤を続けている。本当に大事なものを、変わらずに届けるために。