就労から日常生活まで総合的に支援
足利市の郊外、渡良瀬川へと注ぐ旗川のすぐそばに、入所型の福祉施設「陽光園」はある。敷地内には日中の生活介護を行う施設や法人の運営するクリーニング工場なども入っている。「私たちの理念は、障がいのある方を総合的に支援すること」と愛光園の理事、川俣聡司さんは話す。
愛光園は1976年、障がいのある人の就労のために川俣さんの祖父と父、恵一さんが立ち上げた。家業だった布団屋を営む傍でクリーニング業を始めたところ、「障がいのある人を雇ってほしい」と地域の人から頼まれ、受け入れていくうちに人数が増えた。二人は社会福祉法人としてクリーニング業を営み、彼らの自立を支援し始めたのだという。
その後、保護者の高齢化などで利用者の日常生活の介助が必要になると、愛光園は入所型の事業も始めていく。その一つが陽光園。現在の入所者の約4分の1が、クリーニング工場で働いたことがある。
川俣さんは言う。
「この施設は利用者にとって大切な場になっていると思います。そして、それは私たちにとっても同じです」
それを改めて気づかせてくれたのが、1年前の台風だったという。
台風19号で被災、被害額は1億8千万円に
2019年10月12日、伊豆半島に上陸した台風19号は東日本の広範囲に大きな被害をもたらした。
国土交通省によれば、千曲川や阿武隈川をはじめ71の河川で堤防が決壊。消防庁のまとめ(2020年2月)では、河川の氾濫や土砂災害などにより、全国で99人が死亡、3人が行方不明者となり、重軽傷者は371人にも上った。
愛光園の運営する施設も多くが被災した。
中でも大きな被害を受けたのが、当時33人の利用者が寝泊りしていた陽光園だ。旗川の氾濫で、浸水は床上45センチにまで達し、内部は泥だらけに。電気や水道が止まった上、エレベーターや電動ベッド、エアコンなども壊れ、入所者を受け入れることができなくなってしまった。
実はこの台風の前まで、陽光園の一帯は市のハザードマップでは浸水域と記されていなかった。
「まさか自分が被害に遭うとは思っていませんでした」と川俣さんは悔やむ。自宅は車で30分ほどのところにある。当時は道路が冠水して陽光園に近づけず、車の中で待機するしかなかった。施設が一番大変なときに、その場にいることができなかった。
「これまでにいろいろな研修で、災害については話を聞いていました。ですが、結果的には対応が遅れてしまった。どこかで他人事に思っていたのだと思います」
職員2人で利用者33人を避難
「信じられない1日でした。もう二度と経験したくありません」
陽光園の介護福祉士、丸山直人さんはそう振り返る。台風の夜が当直の日だった。道路の冠水で応援が来られない中、丸山さんはもう1人の職員と2人だけで、入所者33人を避難させなければならなかったという。
台風の中心が近づいていた夜7時半ごろ、陽光園に異変を知らせたのは市役所からの電話だった。
「旗川の様子はどうなっていますか?」
電話を受け取ったのが丸山さんだった。玄関に立った丸山さんは驚いた。辺りはすでに一面が水浸しで、一歩も外に出ることができなくなっていたという。
丸山さんら職員は、施設への浸水を防ぐために水のうを作ろうとするが、慣れない作業でなかなか進まない。1階に入所する18人を2階に避難させようとするも、エレベーターが壊れて動かない。午後9時には停電し、非常用の灯りだけになった。
1階の住人は障がいが重く、自力での移動が難しい人ばかりだ。車いすの利用者も多い。水位がどんどん上がる中、丸山さんらは1人ずつ、階段の踊り場へと運び上げることに決めた。中には車いすを降り、全身を使って階段を上がってくれた人もいた。
午後10時、救助要請を受けた救急隊2人が到着し、全員を2階へと上げ終える。深夜には非常用電源も切れ、施設内は真っ暗になっていたという。
丸山さんは振り返る。
「真っ暗な中、自分が眠るわけにはいかない。不安に押し潰れそうな時、話し相手になってくれたのが利用者さんで、これにかなり助けられました」
「自分たちが支えられていることに気づいた」
台風の翌朝、川俣さんは陽光園の入所者に、法人の運営するほかの施設へと移ってもらうことにした。1階は泥だらけで、感染症のリスクが高い。電気も水道も止まったまま、安全に過ごせる保証がなかったからだ。
慣れない環境での生活は大きなストレスになる。川俣さんは復旧を急いだ。
「利用者の生活を支える日々が当たり前だと思っていましたが、それができなくなるかもしれない事態を現実に感じました。乗り越えることができたのは、利用者やスタッフ、さまざまな人が愛光園を支えてくれたからです」
被災から1週間、まだ周囲には台風の爪痕が残る中、陽光園は再開に漕ぎ着けることができた。
復旧作業では、地域のほかの福祉法人も掃除や片付けなどを手伝ってくれた。取引業者も迅速な復旧に協力してくれて、壊れた大量の電動ベッドやエアコンをすぐに取り替えてくれた。同じように被災したにもかかわらず、陽光園の復旧に力を注いでくれた人もいたという。
復旧の最中、陽光園では問題が生じていた。感染症を防ぐため、浸水した物を全て処分しなければならなくなったのだ。特に1階の入所者は、部屋にあった多くの私物を捨てることになった。
家族や好きなものの写真、洋服、集めてきた趣味のもの。ほとんど全てがなくなり、がらんとした部屋に戻って、職員と抱き合って泣き続けていた人もいた。しかし、川俣さんをはじめ、職員を責める人は誰もいなかったという。
「『何で捨てたんだ』と言う方は誰もいなくて、逆に、『しょうがないよ。帰ってこれてありがとう』と言ってくれる方ばかり。この言葉に支えられました」
川俣さんはこう話す。
「私たちは利用者さんの日常生活の支援はしていますが、この仕事ができるのは、利用者さんにいていただけるから。自分たちは『支えられている』側でもある。今回の台風は、そのことを実感するきっかけになりました。これからも、安心して住める場所をしっかり支え続けていきたい。それが私たちの使命だと思っています」
災害はいつ、どこで起こるかわからない。そんな時、「支え合える関係」はどう築いていけるのだろうか。愛光園で積み重ねられてきた日々が、私たちに教えてくれる。