求められたのは、1万台
ツインバード工業の本社工場の製造ラインでは、従業員十数人がそれぞれの持ち場で作業を行っていた。パーツを手に取り、機器を組み立てたり、製品を丁寧に磨き、箱に詰めたりしていく。製造ラインを流れるクーラーボックスのような箱が、新型コロナウイルスのワクチン運搬庫として話題となっている「ディープフリーザー」だ。
「最初は、希望の納期では納品できるわけがないと思いました」
同社の開発責任者、小川利明さんが昨年の大増産についてそう本音を漏らす。
2020年夏、全国でのワクチン接種のために厚生労働省や製薬会社から求められた台数は、翌年春までに1万台。それまでの生産能力は月300〜400台ほどだったから、小川さんがそう考えるのも無理はない。
一方、社内からは「唯一無二の我が社の冷凍技術が、お役に立てるときが来たのではないか」という声も続々と上がる。同社の役員は緊急会議を重ね、約30社の協力企業の承諾を取り付けるため奔走した。そして、4億円を投資して、工場を増設。人員も50人増やし、生産体制を整えた。
小川さんはこう振り返る。
「あまりに多くの台数を短期間で納めなければならない。最初は不安でした。しかし、スタッフや協力企業のみなさんと実現方法を話し合っていくうち、みんなの士気が上がっていきました」
米モデルナ社製ワクチンの運搬庫のシェアは、ツインバード工業製が多くを占めている。なぜディープフリーザーが選ばれるのだろうか。
厳密な温度管理ができ、小型で運搬可能
同社のディープフリーザーの独自性は、フリーピストンスターリングクーラー(FPSC)と呼ばれる冷却エンジン部にある。
FPSCの技術は、家庭用冷蔵庫などで使用されるコンプレッサーなどによる従来の冷却方式と比べて、マイナス数十度の超低温でも1度単位で温度が制御できる。小型で、振動にも強い。
この特徴が、厳格な温度管理が求められ、全国各地の接種会場に運ばれるワクチンの運搬に最適とされたのだ。
2021年2月、ツインバード工業はコロナワクチンの運搬のために改良したディープフリーザー5000台を厚生労働省に納品。4月には製薬会社への5000台も期日内に完納した。モデルナ社製ワクチンが接種会場で使われるようになった5月下旬以降、約2500万人分のワクチン接種に貢献したと推定されている(2021年10月25日現在)。
そして、この改良と増産を影で支えたのが、地域企業の技術支援を行う公設試験研究機関(公設試)だ。
不可欠な安全性能試験に寄り添う
ディープフリーザーの開発・改良において、必要不可欠な安全性能の評価や技術支援を担ったのが、地元の公設試、新潟県工業技術総合研究所だ。同研究所は、県内の製造業者を主な対象に、品質や性能を評価する依頼試験や機器貸付、共同研究などを行っている。
工業製品は販売の前に、いくつもの安全性能試験をクリアするよう、法律や国際規格で定められている。ただ、年々変わる法律や規格に対応し、一企業が自前の検査機器を揃えることは難しい。
ディープフリーザーの開発・改良時に必要となった、電磁波による誤動作の有無を確認する「EMC(Electro Magnetic Compatibility:電磁環境両立性)試験」もその一つ。電磁波を遮断する電波暗室や測定機器が必要となるが、「とても大きな設備で、社内では用意できません」とツインバード工業で安全性能の試験を担当する佐藤悠葵さんは言う。JKAはこのEMC試験の設備の導入を支援している。
EMC試験とは、開発中の製品に電磁波を浴びせ、誤動作が起きないか、反対に、製品から他の製品に影響を与える電磁波が出ていないかを調べる試験のことだ。さまざまな製品の開発で試験をする佐藤さんにとって、公設試は頼りになる存在だという。
「試験のやり方や、法律で定められた基準値なども丁寧に教えてもらえます。誤動作の原因はどこか、どう直せばいいか、どういう部品に代えたらいいかなど、対策まで一緒に考えてもらっています」
「開発中の製品が、最初から100%の性能を出すことは稀です」と話すのは、新潟県工業技術総合研究所で電磁波を専門とする石澤賢太さん。約10年の製造メーカー勤務を経て、同所の研究員となった「環境電磁工学」のプロフェッショナルだ。
石澤さんによれば、電磁波を受けると、ランプが誤点灯してしまったり、機器の表示部が乱れてしまったりと、さまざまな影響が出ることがあるという。
私たちが生活する環境には、テレビやスマートフォンなどが発する電磁波が溢れ、身の回りに電子機器もたくさんある。小さく見える誤動作であっても、重大な事故につながりかねない。とりわけ、人命にかかわるような精密機器は誤動作が許されない。問題が見つかるたび、企業の担当者と回路図を開き、議論を交わすのが常だという。
石澤さんは、こう話す。
「企業にとっては一つ一つが大事な製品。どこが原因で問題が起きたのか、どう対策するかを一緒に考え、専門的な視点から本来の性能に持っていくサポートをするのが自分たちの役割です」
ディープフリーザーは、こうした地道な検査を積み重ね、万全な状態で世に送り出された製品だ。
2021年12月には3回目のワクチン接種もスタートしたばかり。ディープフリーザーは、接種の遅れている東ティモールなどの開発途上国にも、国際協力機構(JICA)を通じて提供されるなど、活躍の舞台を世界に広げている。
この燕三条地域だからこそ
「新潟、燕三条地域だからこそ、FPSC、ディープフリーザーが開発できました」と語るのは、ツインバード工業代表取締役の野水重明さん。実は、スターリング式冷凍事業が軌道に乗るまでには、長い道のりがあったという。
FPSCは、約200年前にスコットランドのロバート・スターリング博士が提唱しながらも実現していなかった技術。この冷凍技術に着目したのが、父親で先代の社長・野水重勝さん。1990年代の話だ。
着手から10年間かけて、商用量産化に成功。この開発を成功させたのは、「燕三条地域の技術力の結晶」だと野水さんは言う。
FPSCが「シンプルな構造」と言われながらも、それまで実現が難しかった要因の一つには、求められる精度の高さがあった。約150点の部品で構成され、核となるエンジン部分のシリンダーとピストンの隙間はわずか0.01mm。「自動車エンジンの10倍の精度」が必要となる。金属加工の歴史が長く、技術が蓄積されている燕三条だからこそ実現できた技術だという。
しかし、画期的な新技術の製品化にたどり着いても事業化の壁は厚かった。
「製品開発・量産化までに約10年。その後も先行投資が続きましたが、先代は『技術のないメーカーに将来はない。この技術はツインバードの柱になる』と言い切って事業を進めました。事業承継した私も、諦める気はありませんでした」
転機は、野水さんが父親から事業を承継した2011年に訪れた。JAXAから宇宙用冷凍冷蔵庫の開発依頼を受けたのだ。
野水さんらはFPSCの技術で冷凍冷蔵庫「FROST」を開発。2013年に国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」に搭載され大きな話題を呼び、スターリング式冷凍事業が初めて単年度黒字に転換した。
そして、2020年。医薬、計測、エネルギー、食品物流分野に活用が広がったディープフリーザーは、新型コロナウイルスのワクチン接種を進める中で、大きく注目されることになる。
コロナワクチン用に運搬庫を量産するにあたり、野水さんは、改めて燕三条地域の可能性に気付かされたという。
「私たち1社では1万台のディープフリーザーは作れませんでした。しかし、燕三条ならできる。この地域だけでサプライチェーン(供給網)が作れるのですから。地域の企業が協力し合い、ワンチームで生産ができた。全国、全世界を見ても、ものづくりの経営資源に恵まれている地域です」
独自技術のブランド化を
ツインバード工業は、創業70年。金属メッキの加工から事業をスタートし、ライフスタイル家電メーカーとして着実に成長してきた。新潟県工業技術総合研究所は約30年前から、技術支援や共同開発などを通じてその成長に寄り添ってきた。
「独自技術を開発し、磨き上げ、自社ブランドを持つまでの企業に成長し、新潟県を代表する企業の一つとなっています」と、所長の相田収平さんが話す。そうした潜在力を持つ企業は新潟には多くあるという。
新潟県は、燕三条地域の金属加工、長岡地域の機械・金属、見附・五泉地域のニットなど、それぞれの地域の歴史に応じて異なる産業が発達してきた。さらに現在では、自動車、医療機器、航空機など幅広い分野で高い技術力を持つ企業がある。
部品製造の下請けにとどまりがちな地域メーカーが、自社製品をブランド化し、より付加価値の高いものづくりに移行していく支援。それが、研究所の役割だと相田さんは語る。そのために重要なのが、外部にいながら、同時にチームの一員でもある自分たち公設試の存在だ、と。
「製品のブランド化には、技術の客観的な評価が重要です。私たちの役割は、企業の技術や製品の客観的な評価。その技術を見える化することで、県内企業が、付加価値を高めていくことを支えていきたいと考えています」
地域が蓄積してきた技術を新分野に生かし、地域の協働でイノベーションを起こしていく。ディープフリーザーは、燕三条地域が生み出したその好例だ。そこから地域発の技術革新の未来も見えてきそうだ。
※撮影時のみマスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。