想像してみてほしい。ここは東急東横線中目黒駅。改札を出たあなたが目指すのは約500メートル離れた目黒区役所。聴こえてくるのは行き交う人々の声と足音、ICカードの電子音、頭上を走る電車の轟音。駅から歩道へと1歩踏み出したあなたは、そこで立ち止まってしまうかもしれない。点字ブロックが途切れているからだ。

“耳で聞く地図”をつくるには?—NPO法人ことばの道案内

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そんな時、こう読み上げてくれる“地図”がある。〈点字ブロックが欠けているので、そこから1メートルほどは右まえ1時の方向に進みます〉

ウォーキングナビ。音声で安全な移動を支援する“地図”だ。NPO法人「ことばの道案内」が約20年かけ、3000本近い道案内を作成してきた。道案内はどのようにつくっているのだろうか。中目黒駅と目黒区役所を結ぶルートづくりを取材した。

欠けた点字ブロック 補うには?

2022年2月下旬の日曜日、午前9時半。集合場所の中目黒駅に4人が集まった。「始めましょうか」とことばの道案内の理事長、市川浩明さんが言う。一緒に歩くのは、ボランティアスタッフの大学生2人、会社員1人。

会社員のKさんと市川さんが並んで前を歩き、そのすぐ後ろを、大学生の一人はローラー式の距離計を転がしながら、もう一人はタブレット端末を手に歩く。

この日の作業は、駅から目黒区役所までのルートの更新。6年前につくった道案内だといい、市川さんは「街は常に変わり、点字ブロックも劣化する。定期的なメンテナンスが必要です」と話す。

中目黒駅から調査を始める4人

更新作業は、既存の道案内を元に進んだ。タブレットを手にした大学生の三宅真緒さんがウォーキングナビの原稿を読み上げ、案内に沿って4人は進む。

目的地は正面改札口を背にして、およそ右うしろ5時の方向にあります。点字ブロックは、ほぼ完全に敷設してあり、道案内も点字ブロックに沿って説明します。
 
1 改札口を背にして構内を正面12時の方向へ2メートルほどすすむと、T字形の点字ブロックがあります。(注意:行き過ぎると、柱です。注意おわり)
 
参考あり。(参考:点字ブロックのある有人改札室より案内します。有人窓口は左側です。参考おわり)
 
2 T字形の点字ブロックを左9時の方向へ4メートルほどすすむと、十字形の点字ブロックがあります。
 
3 十字形の点字ブロックを右3時の方向へ5メートルほどすすむと、歩道があります。

作業は既存の道案内を確認しながら進んだ

駅構内から歩道へと出た4人が立ち止まった。地面には、大きくはがれた点字ブロック。

「どうなっていますか?」と市川さんが足元の感触を確かめる。「点字ブロックがはがれています」とKさんが答えると、「ここは『参考』ですね」と市川さんが応じた。

道案内には、ルートを歩くヒントになる「参考情報」も入れていく。大きな通りの名前、花屋やコーヒー屋、コンビニなど匂いや音がするものの情報も書き込むという。

駅の出入り口には工事の跡があり、点字ブロックが大きく欠けていた

「欠けた点字ブロックはどんな情報があれば補えるか」を4人で議論して、最終的に定まったのが、冒頭で紹介した次の案内文だ。

参考:途中、4メートルほどから5メートルほどまでは点字ブロックが欠けているので、そこから1メートルほどは右まえ1時の方向に進みます。
 
正面は山手通りで、山手通りの横断歩道から音響式信号機の音声が聞こえます。十字形の点字ブロックの左方向に券売機があります。参考おわり。

市川さんによれば、このような壊れた点字ブロックは「どこにでもある」。不具合を管理者に連絡して改善する事例があれば、「直しません」と言われる時もある。鉄道事業者と区、都と区など、管理者の境目で、点字ブロックが途切れていることも多いという。

「(点字ブロックが)一直線につながっていればいいですが、そうはなっていないことが多いです。現地に行ってみないと分からない。私たちは、画像が見えない、あるいは、見えづらい人にとって、目で見る地図の代わりになる道案内をつくっているのです」

行政や文化施設へのルート2700本超

NPO法人ことばの道案内は、視覚障がいのある人や視力の低下した高齢者らのために、言葉の説明による移動支援を行っている。

任意団体として活動を始めた2002年以来、役所や音楽ホールなどへ行く道案内を2700本以上作成してきた。ウェブサイトで無料公開しているほか、読み上げ機能のついたスマートフォン用のアプリケーション「kotonavi」も公開。多い時で月に4万回ほどのアクセスがあるという。

スマホ用アプリ「kotonavi」も公開している

Googleマップなどの地図アプリと比べ、案内が細やかなのが特徴だ。

「地図アプリでは『まっすぐ進みます』と言っても、道なりに曲がることがありますよね。けれども、我々のような視覚障がい者は『まっすぐ』と聞くと直線に進んでしまいます。ことばの道案内では、『1時方向に曲がります』『何メートル進みます』と具体的に書いているので助かっています」

そう話すのは利用者の一人、クロマチックハーモニカ演奏家の中里聡さん。ナビの制作を担う会員でもあり、これまでに1000ルート以上の作成に関わってきた。初めて行く場所や久しぶりに行く場所へ向かう時、ウォーキングナビを事前に確認しておいたり、現地で確認し直したりして使っているという。

インタビューに答える中里聡さん

「ウォーキングナビがなければ一人ではどこにも行けない、というわけではありません」と前置きして、中里さんは言う。

「これを使うことで、間違った方向に歩き始めたり、何度も人に聞いたりすることが少なくなった。ぶつかったら危険なものなどの情報を事前に得ておくことで、安心して歩けるようになりました」

中里さんはさまざまなツールを使って移動する。「ウォーキングナビ」もその一つ

理事長の市川さんは「私たちは、当事者が少しでも多くの場所へ自力で行けるようになる活動を目指しています」と話す。

自身は40歳で緑内障を発症し、全盲になった。「中途で全盲になると、今まで行けたところに自分一人で移動することが非常に困難になる。でも、そこに『行きたい』という望みは変わりません」

「どうすると思いますか?」と問い掛ける。

「自分で歩いてみて、一歩一歩、歩数を確認して、ぶつかりながら、ここを右に、左にと、家から駅へと歩く。家からスーパーへと歩いていく。こういった試行錯誤をよりシステマチックにしたい、と立ち上がったのがこの団体です」

10年ほど前から活動に参加し始め、2018年に創設者から理事長を引き継いだ。現在の会員は約40人。大学生からシニアまで幅広い年齢層が関わり、毎週末、ルートの作成を続けている。関西圏、全国へと活動範囲も広がりつつあるという。

理事長を務める市川浩明さん

美術館からの要請があり、道案内を作成したこともある。市川さん自身、ことばの道案内を使って最初に訪れた場所はコンサートホールだった。大好きな音楽のコンサートに一人で行けた。その時の達成感をよく覚えている。

現在はJKAの支援も受け、さまざまな文化・娯楽施設への道案内の作成を進めている。特に公園は、点字ブロックなどの敷設が進んでいない場所の代表だという。

「私たちが作っているのは、当事者のQOLを高めるための道案内。もしも、『公園や美術館なんて行けないでしょう』、『行ってどうするの?』という人がいるのなら、その限界、常識を変えることが、僕らの活動の一つです」

点字ブロックの上を歩く市川さんの足元

戸惑わずに歩くための情報を

目黒区役所までの道案内づくりに戻ろう。

4人は中目黒駅を出て、目黒区役所へ向かう。この日は日曜日。駅前は、たくさんの人々や自転車が行き交っていた。

4 歩道を右3時の方向へ41メートルほどすすむと、右3時方向への点字ブロックの曲がり角があります。
(注意:全体的に点字ブロックが摩耗しています。注意おわり)
 
参考あり。(参考:途中、点字ブロックの分岐は1カ所で、14メートルほどで左分岐があります。29メートルほどの右側に、カフェのテーブルとマットが置かれていることがあります。参考おわり)
 
5 点字ブロックの曲がり角を右3時の方向へ4メートルほどすすむと、左9時方向への点字ブロックの曲がり角があります。
 
6 点字ブロックの曲がり角を左9時の方向へ12メートルほどすすむと、右3時方向への点字ブロックの曲がり角があります。
(注意:5メートルほどから11メートルほどの右側はロータリーで、車が出てくることがあります。注意おわり)
 
7 点字ブロックの曲がり角を右3時の方向へ1メートルほどすすむと、左9時方向への点字ブロックの曲がり角があります。

あれ? と市川さんが立ち止まる。

「7」の案内通りに進むと、直角に右折して1メートル進み、すぐに左に向き直ることになる。左側にある何かを避けているような動きだ。

「何かあるの?」——。市川さんが聞く。

Kさんが少し考えて、「バス停があります。並ぶ人を避けているのかもしれません」。確かに、歩道は直線なのに、点字ブロックはバス停を避けるように迂回している。

バス停を避けるように点字ブロックが曲がっていた

「なるほど、ここも『参考』ですね」と市川さん。参考は「7」の前に付けられた。情報は、事前に分かっていた方が戸惑いが少ないからだ。

参考あり。(参考:左側にバス停があります。参考おわり)

少し進むと、曲がり角のすぐ先にガードレールがあった。けがの危険性があるような場所には「注意」が付けられる。

〈注意:行き過ぎると、ガードレールです。注意おわり〉

点字ブロックの曲がり角にガードレールがあった

市川さんはこう言う。

「『点字ブロックをまっすぐにしろ』とは主張しません。ただ、バス停の存在を知らなければ『なんで曲がってるんだろう』とは思う。参考情報として書いておけば、初めてここに出くわした人が『バス停を避けているんだな』と分かり、戸惑いなく進むことができます」

「壁」は街のあちこちに

4人は駅前を抜けていく。点字ブロックの上を歩く市川さんのすぐそばを、自転車がビュッと走り抜ける。「ごめんよぉ」とおじさんの伸びた声、ちりんと鳴らすベルの音。

今度は少し離れたところで、小さな女の子がうれしそうな声を上げた。かわいいね、と市川さんが声に顔を向ける。Kさんが言葉を添える。

「ベビーカーに乗った女の子と、お母さんと手をつないで歩くお兄ちゃん」

「かわいいね」。もう一度そう言って、市川さんの表情がさらに柔らかくなった。

ルートづくりは、ことばの道案内の会員に加え、Kさんのような企業ボランティアやインターンの学生が加わる。都内の企業約10社と提携し、学生は毎年10人ほどが活動に参加。属性も年齢もさまざまな人が、力を合わせてルートづくりに取り組んできた。「いろいろな人間が携わっていることは、私たちの活動の特徴の一つ」と市川さんは言う。

「現場でルートの情報を吸い上げる時、目が見える人と見えない人の双方がいることで、違った視点から得た情報を共有できる。それに、移動しづらい街そのものについても知ってもらえます」

学生ボランティアと市川さん。学生はSNSでの発信も担当している

システムエンジニアとして働くKさんは半年ほど前、会社が推奨する社会貢献活動の案内を見て、参加するようになったという。

「(利用する人が)アクセスするにはどんな情報・設計が必要なのかをよく考えるようになりました。プログラミングの仕事にも生かしていきたいです」

学生ボランティアの1人、森﨑友香さんは友人から誘われて、1年ほど前から活動に参加し始めた。回数を重ねるうち、街の景色が変わって見えるようになったという。一番の変化は地元の駅で、視覚障がいのある人を見る機会が増えたこと。「人が増えたのではなく、意識が変わったからだと感じてます」と言う。

気が付くと、今まで見えていなかった「壁」が、街のあちこちにあった。壊れた点字ブロック、整備されないホームドア、レバー式やボタン式など「流し方」がさまざまなトイレ……。

「私はその場その場で対応できるけど、不便に感じる人はいるだろうな、と。(どういう状況だと不便なのかを設計者が)知らなくて、できていないことがあるのだと思います」

伝えているのは未来像

ルートづくりは終盤。目黒区役所の東門をくぐり抜けた4人はさらに庁舎の中へ。

22 自動ドアをはいり、通路を正面12時の方向へ3メートルほどすすむと、左9時方向への点字ブロックの曲がり角があります。(注意:行き過ぎると、看板です。注意おわり)
 
23 点字ブロックの曲がり角を左9時の方向へ4メートルほどすすむと、右まえ2時の方向に総合案内があります。
 
到着です。

歩いて10分の道のりを、2時間かけてたどり着いた目黒区役所。三宅さんがタブレット端末に入力をして、道案内の更新が完了した。

目黒区役所に到着。受付窓口まで向かう

市川さんは言う。

「私たちが活動を通して伝えているのは、社会の歪みかもしれないし、これからの社会の未来像かもしれません。コミュニケーションから始まって、同じものを違う目線で見ることが多様性につながっていく。全く興味のない人にも振り向いてもらえるよう、ファンを増やしていきたいです」

帰りは、区役所から駅までの道案内を新たにつくる。行きの案内と帰りの案内は「鏡」にはならないからだ。4人はUターンをして、来た道をまた歩きだす。

「活動は楽しく、細々と続くのが一番」と市川さん。その言葉通り、活動中は笑顔が絶えない。はたから見れば、楽しく散歩する4人組。話しながら、笑いながら、考えながら、ウォーキングナビにまた一つ、新しい“地図”が増えていく。

※撮影時のみマスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。