ある日、働けなくなった
新納佑介さん(仮名)に異変が起きたのは、27歳のときだった。
大学を出て、新卒で就いた営業職。働いて、働いていく中で、「仕事の量とレベルが、ちょっと処理できなくなってきた」と感じたころ、うまく眠れなくなった。
病院へ行くとうつ病の診断があって、「ちょっと休んで、回復させて」、一度は職場に戻ったが、「前みたいにバリバリ働くことが、体力的にも精神的にもできんようになった」と感じて会社を辞め、福山市の実家でしばらく療養することにした。
それから、10年が過ぎた。
自室にこもり、寝たきりの生活。「外に出なきゃ」といつも思っていたが、身体が動かなかった。ベッドから起き上がれず、トイレにも這って行った。体調がよくて時々散歩に出るときは、いつも夜だった。
「『見栄』があった」と新納さんは言う。他人の目が気になってしかたなかった。
「『こんな昼間に何しよるんじゃろう?』って思われたくない。明るいうちには出られない。家族にも甘えられない状況で、一人では何も変われなくて」
家を出たきっかけはYouTubeの動画だった。そこには、自分と似たような症状の人がいた。「福山市」「相談できる場所」でウェブ検索すると、保健所の相談窓口が出てきた。相談に出かけて案内されたのが、(福)まどかが運営する地域活動支援センター「とまり木」だった。
「甘えても、全然いいんじゃ」
とまり木は、福山駅から徒歩20分ほどの住宅街にある。小さな町工場のような建物で、1階では法人が受託した仕事に従事できる場。2階では織物や絵画などのものづくりに集中したり、交流したりできる。地域の行事や清掃などに参加することもあり、さまざまな活動を通して、「社会とのつながり」を少しずつ得ていく場所だ。
「とまり木に通うようになって、人に頼れるようになった」と新納さんは話す。
「『助けてください』を言うのが昔から苦手で。自分の弱いところは絶対に出せれん、と。だけど思い切って、職員さんにしんどい部分を話したら、真剣に向き合ってくれて、一緒に(解決策を)模索してくれて。うん、甘えても全然いいんじゃって分かったことがものすごくでかい。ここは、自分にとってのステップアップの場所であり、ちょっと甘えれて、自分の素を出せる場所です」
日々の一部をこことまり木で過ごすようになり、この1年はすみれ工房で働いた。すみれ工房の事業の柱の一つが、「就労継続支援B型」と呼ばれる福祉事業だ。
就労継続支援B型とは「雇用契約に基づく就労」が難しい人に、働く機会を提供する事業。すみれ工房では精神疾患・障がいのある人を中心に、幅広い年代の十数人が働いている。
仕事の内容はさまざまで、その人に合った仕事を選ぶことができる。火曜から土曜まで、最長で午前と午後の計4時間。冒頭で紹介したような清掃やダイレクトメールの封入、お菓子の梱包など、地元の協力企業から受託している仕事に従事できる。
仕事で得た報酬は、利用者の中で分配される。職員の人件費や維持費は、自治体からの給付金などから支出される仕組みになっている。
新納さんは清掃の後、午後は子ども向けの虫かごにストラップを付ける仕事を選んだ。
秋には一度体調を崩したが、今は少し回復して、こうして働けている。一つ一つ手作業で、黙々と作業をこなしていく。「まどかでは『自分のこと』に集中できる」と言う。
「これまでは誰かと競争して、比べられてきた。だから、自分の弱い部分を出せなかったんです。でも、ここにはそれぞれ症状を持った人たちが集まっていて、言葉にせんでも、表情や態度で感じ取って、声を掛けてくれる。それも、重い感じではなく、『まあ、次じゃろ』『しんどい思い、分かるよ』という感覚。『普通の社会』で生きていた時にはなかったことだと思います」
働き続けられる環境づくりに伴走
(福)まどかの事業は、大きく分けて三つある。
一つ目は、地域活動支援センター「とまり木」の運営。地域交流や創作活動の場の提供、相談受付などを通して、地域での自立を支援する。
二つ目が「すみれ工房」での就労継続支援事業(B型)。作業や訓練を通して生活のリズムを整え、将来の就職へ向けた取り組みを支援する。
三つ目が、同じく「すみれ工房」での就労移行支援事業。訓練や活動を通して、一般企業への就職を目指す。
「精神障がいがある方の働きにくさは、外から見ただけでは分かりにくいという点が大きい」と話すのは、すみれ工房の管理者を務める髙橋恒二郎さん。「日常生活のちょっとした変化で大きな不安を感じたり、反対に、自分の気持ちの変化を周りに伝えることにすごく臆病になっている方もいます」と言う。
「だから、ここでは、変化は気づいてもらえるよ、伝えても大丈夫なんだよ、と少しずつ伝えます。安心して過ごせる環境があるというだけでも、その人の働ける力が十分に発揮できるようになると思います」
近年、力を入れているのが就労定着支援。「就労移行支援」の延長として、企業などに就職した後も、就労移行支援事業での6カ月間の定着支援後も、3年間にわたって支援する仕組みだ。一人ひとりの気持ちに向き合いながら、職場の環境を調整していく。
例えば、と髙橋さん。ある企業で働き始めて半年が過ぎた人から、不安の声を聞いて対応したことがあったという。
「徐々に周囲からの声掛けが少なくなり、『自分の仕事は間違っているのでは』から『この会社にいていいのか』まで不安に感じていました。でも、周囲に聞いてみると、『安心して任せられるようになったから、声掛けの必要が少なくなった』とのことでした」
働く人と企業との間に入り、すれ違っていた気持ちをつないだ。信頼関係のある職員が伝えることで、もう一度、安心して仕事に取り組めるようになったという。
元利用者のある男性(60)は、とまり木とすみれ工房を合わせて4カ月を過ごした。規則正しい生活で体調が戻り、2021年の12月に再就職することができた。さらに就労定着支援を受けたことで、安心して働き続けることができたという。
定期的にすみれ工房に通い、上司や同僚との関係、体調について相談する。一方、職員が職場を訪れ、上司や同僚と話す機会をつくった。今は順調なため、支援は一時中断中。また問題があれば、支援を受けることができるという。
男性は言う。
「まどかでは職員さんがそれぞれの利用者の特性を把握してくれて、『焦らなくていいよ』『今はゆっくり休む時期だよ』と優しく声がけしていただける。このことが一番の心の支えになっています」
始まりは「家族会」
(福)まどかの始まりは、1988年、福山市精神障害者家族会(通称:バラ会)が当事者たちの働く場としてつくったこと。当時はまだ「精神障がい」への社会の理解はほとんどなかった。一緒に暮らす家族は相談先が分からず、「親の責任」と責められる人もいた。
「家族が全部抱え込むしかなかった」とバラ会の役員の一人、秋元美穂さんは言う。
ボランティアとしてバラ会に関わってきた岡田美枝さんによれば、親たちの情報交換の場でもあり、集まった人たちがまた家族のように、和気あいあいと集まるようになっていったという。同じく役員の三浦浩子さんは、息子が外に出たがらない時期が長かった。彼は友人に誘われ、(福)まどかの運営していた喫茶店を手伝うようになり、外出が増えていったという。
「外に出るようになったら、車の免許を取りだして、パソコンも覚えて働くようになりました。まどかは、外に出る一歩目だったと思います」
まどかは2005年に法人化。活動の幅を広げていく中で、競輪とオートレースの補助事業の支援を受け、2022年に就労支援のための施設を新築した。「とまり木」と同じ施設で行っていた「すみれ工房」の活動を独立させ、それぞれの作業に集中できるようになった。(福)まどかの理事長、神谷和孝さんは「施設の役割を分けることができ、のびのびと活動ができるようになった」と言う。
「あなたもここにいていい」
利用者にとって、(福)まどかはどんな存在となっているのだろうか。
「まどかに来て、初めて、言い訳をしない大人と出会えた」と話してくれた利用者の男性もいた。
2015年からここに来るようになった。ある時、とまり木で「わがままな利用者」がいたという。どう対処するのかな、と見ていたところ、まっすぐな目で、「それでも、あなたもここにいてもいいんだ」と利用者に伝える施設長に驚いたという。
「私の周りは言い訳やわがままを言う人たちばかり。その環境があってか、意見が違うと突き放しがちでした。でも、まどかでは向き合ってくれる。職員も、利用者も。話し合えば通じる人ばかりです。みんな自分で自分の責任を持っている。ここに関わる人全員が『かっこいい』と思います」
佐藤洋平さん(仮名)はすみれ工房で働くことを通じて、自信を深めた。
28歳でここに来て、8年目。仕事もコミュニケーションも順調なように見えるが、来たばかりのころは長時間の作業がほとんどできなかった。「1日の仕事は最長で4時間ですが、最後までできたことはほとんどありませんでした」と話す。
「作業時間が年々伸びて、4時間分の作業もできるようになりました。自分でものを考えるようになり、なんでも他人のせいにしたり、怒られることが少なくなったと思います」
いまは週5日通っており、「欲しいものがあるから頑張っている」と話す。今欲しいのは、靴。就職の面接に備えたビジネス用の靴だ。スーツとカバンはそろえることができたという。
「一心不乱に働いてます。これまではいつも、楽な方にばかり行っていた。まどかは、自分を高める場所なんです」
立ち上がろうとする誰かを支え続ける
すみれ工房の管理者、髙橋さんには福祉の仕事の原体験となったことがある。それは、学生の頃、実習先の施設で、「この施設をどう思う?」と問われたこと。
「当時の私は『皆さん、すごく生き生き過ごしてていい事業所ですね』と応えたんです。すると、その方は『それはありがたいけど、僕はこういう施設は世の中に要らないと思う』と。すごくびっくりしました。みんなが過ごせる、生活する場所も、働く場所もあって、楽しめる。けど、その方が言うのは逆で、こういった施設が世の中に必要とされてること自体が間違っている、と」
その人はこう続けたという。
「ここにいる人たちは本来、地域で、ほかの人と同じように生活ができなきゃいけない。それなのに、それができないから、こういう環境をつくらざるを得なくなってる。だから、これが当たり前だと思って福祉の仕事をしちゃいけないよ」
その頃から比べれば、「障がい」への理解は格段に広がった面もある。メディアでの露出が増え、行政の支援も増えた。当事者たちが活躍する場も増えている。
一方で、「障がい」や「疾患」は誰もがなり得るものなのに、「特別なこと」と受け止められてしまう状況はなかなか変わらない。「施設を必要としている人、施設があることで安心できる人もいることも事実です」と髙橋さんは言う。
「だから、私たちは施設でその人の生活が終わらないようにしたい。ここは、社会の通過点。そのためにできることは何か。ここに来る人たちは、自分の考え、しんどさを伝えることに対して、否定されたり、受け入れてもらえなかったりして挫折を味わってきた。でも、それは伝えても大丈夫だ、分かってもらえたら働けるんだということをここで確認してもらいたいなと思っています」
誰もが一人では立てない時がある。支えがあれば、立てることもある。向き合えば、分かることがある。伝えられることもある。(福)まどかがつくるのは、そんな「当たり前」を確かめられる場所だ。
※撮影時のみマスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。