イベントのキャッチコピーは「応援してたら、応援されてた」。その言葉通り、ライダーやボランティアを始め、パートナー企業など、さまざまなかたちの応援によって開催されてきたツール・ド・東北。競輪とオートレースの補助事業もイベントの支援を行っています。
2024年9月15日。11年目となる今回は宮城県出身の競輪選手、菅田壱道選手も応援に駆けつけてくれました。
菅田選手:「ツール・ド・東北は地元でも有名なイベントですが、実際に会場を訪れたのは今日が初めてですライダーのみなさんがゼッケンにさまざまな応援メッセージを掲げて走る姿は、見ているこちらも励まされますね。今日は僕がみなさんを全力で応援したいと思います!」
現在も仙台を拠点に活躍している菅田選手。この日はなんと、早朝4時からボランティアの方と一緒に進行をサポートしていたそうです。
スタート地点で声援を送り、イベントを応援!
ツール・ド・東北のコースは180km、100km、65kmの計3タイプ。メイン会場である石巻専修大学からスタートし、女川(おながわ)、雄勝(おがつ)、気仙沼大谷海岸などのエイドステーション(AS)で水分補給や栄養補給を行いつつ、再び石巻専修大学へと戻ってきます。
各ASでは地元産の食材を使ったエイド食が振る舞われ、ライダーは地元ボランティアの方との交流も楽しめます。また、メイン会場では地元の消防音楽隊やダンスチーム、宮城県出身のアーティストによるミニライブも開催。ロングライドなイベントならではの盛り上がりです。
「せっかくなので、ライダーのみなさんにお話を聞いてみたいと思います」と、スタートを待つライダーに声をかけていく菅田選手。「今日が初めての参加です」「完走を目指します!」「会社のみんなと参加しています!頑張ります!」と意気込みを伝えてくれる方がいれば、「気仙沼の海沿いの景色が楽しみです!」「ASのグルメを目指して走ります!」と、観光を目的に来た方もいました。また、「震災直後はボランティアによく参加していました。今の自分に何かできることがないかと思って来ました」など、復興への想いを話してくれる方もたくさんいます。
※エイドステーション(AS)とは、コース上に設置された、食べ物やドリンクを提供する場所のこと
景色は変わっても想いは同じ。11年ずっと続く、応援の輪
スタートを見送った後は「ASまで応援へ向かいましょう!」と女川ASへ。そこでは、女川町商工会女性部のみなさんが手作りしたつみれ汁を味わう人で賑わっていました。毎年、「この味を楽しみに参加しました!」という声が絶えないほど大好評だそうです。
「女川で獲れたサンマのつみれ汁です。ぜひ食べてみてください」と促される菅田選手。
菅田選手:「おいしい!今まで食べた魚のすり身料理の中でいちばんです!これを目当てに参加する方がいるのもうなずけますね」
そう言って、地元産の新鮮な味に感動している様子でした。地元の味を堪能しつつ、女川町商工会女性部のみなさんにもお話をうかがいます。
女川町商工会女性部:「毎年、いろんな方がおいしいと言って食べてくれるんです。それがとても嬉しくて。私たちがライダーのみなさんを応援しているはずなのに、むしろ私たちの方が応援してもらっている気持ちになりますね。2013年の開催時、この辺りはまだ瓦礫が片付けられただけの更地だったんです。でも今は、こんなに人が集まってくれる素敵な場所になりました。たくさんの支援があったおかげでここまで来られたので、地元の郷土料理を振る舞って、少しでも恩返しができればという想いで毎年作っています」
その言葉は、まさに「応援してたら、応援されてた」。走って応援する人も、走る人を応援する人も。それぞれのやり方で「応援」の輪を広げていることが伝わってきました。
菅田選手がお話を聞いている最中も、ライダーのみなさんが続々とつみれ汁を受け取りに来ます。「体に沁みる〜!」「この先も頑張れそう!」といった声も聞こえてきました。
途中からあいにくの雨となりましたが、それでもライダーやボランティアのみなさんの笑顔は変わりません。
走って、味わって、楽しんで。たくさんの喜びを胸にゴールへ!
女川ASでライダーを見送った後、雄勝ASへと向かう菅田選手。道中では各漁港から集められた大漁旗が掲げられていたり、地元の人が沿道で手を振って声援を送ったりしていて、地域全体でライダーを応援する様子が伝わってきました。
雄勝ASのエイド食は、獲れたての味がするホタテ焼きや、宮城県の沿岸で水揚げされた銀鮭(ぎんざけ)を使ったおむすび。こちらもたくさんの方がおいしそうに食べていました。
また、各ASでお話を聞いたライダーのみなさんからは「10年以上参加しています。最初の頃はコースを走ると仮設住宅がいくつも目に入ってきましたが、今は道の駅や公園ができて活気ある場所になりましたね。復興しているという変化を感じて嬉しいです」や「コースを走っていると、震災遺構と呼ばれる旧大川小学校や旧防災対策庁舎が見えてきます。震災当時の様子や、それによって得られる教訓を知る機会にもつながっています」などの声も聞くことができました。
各ASでの応援を終えた後、菅田選手は再びゴール地点の石巻専修大学へ。ボランティアの方と一緒に大旗を振ってゴールの瞬間を盛り上げます。
菅田選手:「ゴール前で声援を送るみなさん、すごく盛り上げ上手ですね!こんな風に迎えてもらえたらライダーは絶対に嬉しいと思います」
悲しみも、驚きも、感謝も。決して忘れない震災当時の記憶
ゴールを見守った後は、改めて菅田選手に震災当時の様子についてお話をうかがいました。
菅田選手:「実は僕、震災当日の午前中は海沿いを自転車で走って練習していました。たまたま午後から別の場所に移動しましたが、もし練習を続けていたら今ここにいなかったでしょうね。震災後は、自分にも何かできることはないかと競輪選手の仲間とボランティアに参加したんですよ。工場で浸水した機械を撤去したり、被災した住宅から泥や使えなくなった家具を運び出したり、学校に流れ着いた誰かの思い出の品を選別したり……“あった!”と自分の所持品を見つけて喜んでいる方や、“片付けてくれてありがとう”とお礼を伝えてくれる子どもたちの様子は今もしっかりと覚えています」
最後に、本イベントの感想も聞いてみます。
菅田選手:「今日はコース各地を巡りましたが、どこにいてもエネルギーが伝わってきて、宮城の魅力を新たに知る機会にもなりました。ツール・ド・東北には、競輪とオートレースの補助事業も活用されているんですよね。以前、補助事業の交付式に出席しましたが、実際に活用されている様子を自分の目で見るのは今日が初めて。レースを走ることで生まれた収益の一部が、地元の貢献にもつながっているとわかって良かったです。次もまた、ここでみなさんを応援したいと思います」
ツール・ド・東北 代表理事の一力さまよりメッセージ
イベント終了後、ツール・ド・東北 代表理事の一力雅彦さまよりメッセージが届きました。
一力さま:「私自身、今年もライダーとして出走しました。ライダーのみなさんは、スタート時には震災で犠牲となった人たちへ黙とうし、コース途中では多くの児童が犠牲になった旧大川小学校や旧防災対策庁舎などの震災遺構に立ち寄って祈りを捧げてくれます。また、沿道では住民やボランティアの方が大漁旗を振って応援し、各ASでエイド食を振る舞う地元ボランティアの方々は“お帰りなさい”と言ってライダーを迎えてくれます。瓦礫や仮設住宅など災禍の爪痕が残る開催初期とは大きく変化しましたが、心の復興は簡単には進みません。しかし、ライダーの一人としてイベントを見ていると、ツール・ド・東北は被災地の再生のシンボルに育っていると感じます。ツール・ド・東北を通じて生まれる交流は、参加者にとっても地域にとっても欠かせないものです。全国や地元のパートナー企業を始め、補助事業に採択してくださったJKAのみなさまによる物心両面のご支援に、心より感謝しております」
ボランティアの方やライダーの方はもちろん、パートナー企業による支援など、さまざまな応援を通じて、東北に笑顔と活気があふれる1日となりました。競輪とオートレースの補助事業は、これからもさまざまな地域や人のサポートを続けていきます。