プラズマで廃油からエネルギーを
直径2センチほどの丸窓の内側で、油が煮立ったようにコポコポと音を立てている。
「この泡は水素ですよ」
愛媛大学工学部のある実験室。“世界初”を実現したという装置の前で、野村さんが言う。
油の中では火花のような光が弾けていて、「この光がプラズマです」と野村さんが装置の説明を加えていく。
まず、容器内の電極からマイクロ波を放ち、油の中にプラズマを発生させる。プラズマは固体・液体・気体に次ぐ物質の第4形態で、大きなエネルギーを持つ。温度は3000度にも達するため、高エネルギーを受けた油の分子は、炭素・水素原子に分解されてしまう。
炭素は黒い粒子になって、液体中に現れる。一方、気体となった水素を集め、燃料電池の原料とする——という技術を、世界で初めて実現したのが野村さんらの研究グループだ。
研究は2002年に始まり、その年末に、液体中にプラズマを発生させる実験に成功した。その後、水素を効率よく集める研究を重ね、2011年には、世界で初めて廃油から取り出した水素で燃料電池自動車を走らせることもできた。
野村さんは言う。
「地球上の物質のほとんどは水素や炭素の化合物。これらを分解できる液中プラズマは、次世代のエネルギーである水素を身近にする技術です」
新たな国産エネルギーとなる可能性も
水素が「次世代エネルギー」として注目されるのには理由がある。
まず、地球上のいたるところに存在している。さらに、貯蔵や運搬ができ、燃料電池として使う時に二酸化炭素を出さないなど、エネルギーとしての長所が多い。そのため、世界各国が実用化に向けしのぎを削っている。
日本政府は2014年の「エネルギー基本計画」に、水素社会実現に向けた具体的な利用について初めて盛り込むと、2017年の「水素基本戦略」では、「エネルギー資源の乏しい我が国にとって、水素はエネルギー安全保障と温暖化対策の切り札」と位置付けた。
2019年3月には「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を改訂し、燃料電池自動車の普及については、2020年までに4万台程度、2030年までには80万台程度の普及を目指すとしている。
だが、この「戦略」では、水素は主に海外からの輸入で調達する。“水素社会”が実現しても、製造費用の安い海外製に頼らざるを得ないのだ。
「海外からの輸入に頼っていては、現状とあまり変わらない」と野村さんは考えている。野村さんによれば、水素の精製には、水を電気分解する方法がよく知られている。ただ、水のように安定した物質は、分解に大きなエネルギーが必要で、その分、製造費用がかさむ。
一方、油を液中プラズマで分解すれば、理論上、水の電気分解よりも10分の1ほどのエネルギーで水素をつくれるという。しかも、原料は毎日大量に捨てられる油。日本周辺の海底に眠る大量のメタンハイドレードを、水素源として活用できる可能性もある。
野村さんは言う。
「液中プラズマが実用化されれば、国内でエネルギーをまかなうことができる。これまでの日本では考えられなかったことです」
「今治タオル」の排水処理もプラズマで
液中プラズマはさまざまな分野への応用も期待されている。その一つが、産業排水の浄化だ。
今、熱い視線を注ぐのが「今治タオル」で知られる愛媛県今治市の繊維業界。今治市にあるタオル関連業者はおよそ200を数える。その一端を担う染色業者で、染色排水の脱色が課題となっているという。タオルに使う染料は、分解が難しいからだ。
愛媛県繊維産業技術センター技術支援室長の石丸祥司さんによれば、現在、多くの業者が排
水を微生物処理や沈殿処理などにより規制の範囲内にしている。
だが、染色に使う色素は完全にはなくせない。
水質汚濁防止法等では色については法規制外であり、各業者が自主規制で対応しているのが現状で、景観や環境への配慮から解決が求められているという。
野村さんによれば、液中プラズマならば色素も無色にできる。仕組みは水素の精製とほぼ同じ。結合の強い色素の分子でも、原子レベルに分解してしまうという。しかも、従来考えられてきた手法よりコストを大きく抑えることができる可能性がある。
野村さんは今治市内の染色業者をはじめとした関係者と議論を重ねている。2020年初旬からは実証実験が始まる予定だ。
繊維産業技術センターの石丸さんは期待をこう語る。
「これまでコスト面で難しかった色素を消す技術の実用化が、液中プラズマならば実現できるかもしれません。『今治タオル産地』の価値を、これまで以上に高めることにもつながるはずです」
野村さんは液中プラズマの実用化を目指し、2018年に研究者や技術者らと起業した。水素の精製に加え、汚染物質の分解も事業化したところ、産業汚染の深刻な中国からも引き合いがあるという。
太陽エネルギーを“水素”の形へ
野村さんは「脱常識」を大切にしている。ゴミからエネルギーはつくれない、染料の色素は完全にはなくせない——。世の中はそんな「常識」にあふれているという。
例えばエネルギー問題では、野村さんは「地球外」のエネルギーを使おうと考えた。きっかけは、2011年に東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故だった。
「原発は安全だろう、と漠然と思っていました。けれど、一度事故が起きれば取り返しがつかない。燃料のウランも無尽蔵に使えるわけではありません」
「人類が1年間に消費するエネルギーを“1”とすると、石油や石炭、天然ガス、ウランの埋蔵量はどれくらいだと思いますか?」と野村さんが問いかける。
答えは、300~400。一方、太陽から地球に降り注ぐエネルギーはおよそ1万にもなるという。つまり、1%でも使えれば、100年分のエネルギーを得ることができる。太陽エネルギーを利用可能な形にすることが「エネルギー問題解決の鍵」だという。
野村さんの構想は、液中プラズマを太陽光発電などの再生可能エネルギーと組み合わせること。そうすれば、太陽エネルギーを“水素”の形にして溜めたり、運んだりできる。
「どんなに技術が進歩しても、エネルギーがなくなれば何もできません。地球外のものを使えなければ、必ず限界が来る。それを訴え続けることが科学者の役割です」
科学は「今の常識」を打ち破る
「脱常識」——。この言葉をくれたのが、恩師、豊橋技術科学大学の大竹一友さんだった。早くから環境問題に注目し、1993年には学内に「エコロジー工学課程」を立ち上げるような、先進的な研究者だったという。
ところが、世界を飛び回って活躍していた1997年、インドネシアの航空機墜落事故で亡くなってしまう。
「『一日は長くても、一生は短い』と思うようになりました。生きているうちに、できることをしなければ」と野村さんは振り返る。この思いが、“世界初”となる液中プラズマの研究にもつながっているという。
野村さんは、若手研究者にもその姿勢を伝えようとしている。
教え子の一人、丹下和樹さんはもうすぐ博士課程を終える。野村さんの元では、色素を分解する研究に打ち込んできた。「実用化にはまだ壁がある。実社会の問題を解決していける科学者になりたい」と丹下さんは話す。
野村さんから学んだことはたくさんある。
「先生はすぐ『やってみろ』と言うんです。何か新しいことをする時、どうしても『常識』で考えてしまう。こういう研究例があるとか、過去にうまくいかなかったとか。でも、『今の常識』は新しいものを生まない。科学は常識を打ち破って生まれる、です」
ワクワクが新しい発想を生み出す
もう一つ、野村さんが恩師の大竹さんから教わったのが「ワクワクし続けること」。大竹さんは研究以外の活動にも積極的で、野村さんも所属したプロレス研究会の顧問でもあった。
「“ワクワク”は研究室でも受け継いでいます」と野村さん。学内のソフトボール大会でも、マラソン大会でも、運動部と競り合うくらい本気で競技に向かう。野村さん自身は人力飛行機サークルの顧問も務めている。
研究だけでも忙しいのに、さまざまな活動に関わるのにはもちろん理由がある。
「研究以外」を学生たちにも求めるのは、「“研究”だけでは新しい発想が生まれない」と信じているから。実現が難しいことに対して、一つ一つの課題を前に、ワクワクしながら進んでいく。それが科学者の基本姿勢だという。
液中プラズマでも、実用化にはまだ課題が多い。最も大きな課題は水素をつくる費用だ。他のエネルギーよりも安くできなければ、普及することは難しい。
でも、「まずやってみよう」という姿勢は変わらない。実験を積み重ね、「今の常識」を塗り替えていく。それが「持続可能な社会」のために、科学に、科学者にできることだから。
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