28年ぶりのオートバイ
この日の体験走行会は、神奈川県川崎市の向ヶ丘自動車学校で開かれた。参加者は4人。補助輪付き自転車でバランス感覚を確かめた後、補助輪を取り付けたオートバイに乗った。
車体は改造されている。ギア操作が手だけでできるように、足はステップに固定できるように。タイヤは、活動に賛同するメーカーに「できるだけ安定するものを」と頼んで提供してもらったもの。補助輪は少し浮いていて、接地させずに乗れるようになれば、補助輪なしで走る次の段階に移る。
長田さんは10代の頃にバイク事故で脊椎を損傷した。事故後は、引きこもりがちな生活になった。「車いす姿を見られるのが恥ずかしかった」からだという。
「でも、友達が毎日、話もせずにずっとそばにいてくれて、友達と一緒なら、外に出てもいいかなと思えるようになって。ドライブに誘ってくれたり、スポーツを勧めてくれたり。今の自分があるのは、そのおかげだと思います」
乗れなくなってからも、バイク好きは変わらなかった。先輩たちとオートバイの改造を楽しんでいる長田さんを見て、婚約者が走行会への参加を申し込んでくれた。「(SSPの)話を聞いて、(再びオートバイに乗る)夢が膨らみました」と長田さんは話す。
迎えた本番。
長田さんはスタッフに抱えられてオートバイへ。合図とともにエンジン音を響かせ、ゆっくりと前に進んだ。徐々に速度を上げ、数十メートル先で手を振る別のスタッフの元へ、オートバイを走らせる。
28年間のブランクをものともせず、勘はすぐに取り戻したように見えた。走行を終えた長田さんは拍手と歓声に囲まれ、満面の笑み。
長田さんは言う。
「気持ちいい。『最高』の一言。もう、次の夢はサーキット(での走行会)ですね」
三兄弟で始めたプロジェクト
「オートバイは危ない乗り物という認識があるかもしれませんが、『障がいがあってもオートバイに乗りたい』という夢を持つ方がいる。その夢を、オートバイ好きが集まって支える活動をしています」
そう話すのはSSPの代表理事、青木治親(はるちか)さん。現役のオートレース選手で、ロードレース世界選手権(125ccクラス)で2年連続チャンピオンを獲得した経験もある。二人の兄、宣篤さんと拓磨さんと共に「青木三兄弟」として、業界ではよく知られた存在だ。
次男の拓磨さんは1998年、サーキットで練習中に転倒し、下半身不随に。その後は四輪レーサーに転身し、いくつもの世界大会に出場している。
SSPの活動のきっかけは2018年、治親さんが、あるオートバイのレース映像をSNSで見かけたことだという。海外で開かれたレースだった。
「健常者しか乗れないと、勝手に思い込んでいたオートバイに、車いすユーザーの方が乗っていたんです。『すごいな!』と驚きました」
映像と拓磨さんのことが頭の中でつながったのは、1週間ほど過ぎた日の夜だった。SNSで見たレースの映像がふと脳裏に浮かんできた。
「事故以来、兄弟でもオートバイの話はしなくなっていたけれど、『もしかしたら、拓磨も乗りたいんじゃないかな?』って。そこから朝までかけて、書いたこともない企画書を書いて、(長男の)宣篤に送ったら、『いいんじゃない? やってみよう。どうせやるなら、鈴鹿8耐と日本グランプリのMOTEGIだね』と」
兄弟3人で、手探りで始まったプロジェクトは、2019年7月、「FIM世界耐久選手権シリーズ 鈴鹿8時間耐久ロードレース」の決勝当日で実を結ぶ。
「サイドスタンドプロジェクト“Takuma Rides Again”」と名付けられたイベントで、拓磨さんがコースを疾走。7万人の観衆が、惜しみない拍手をその姿に送った。
当時のことを拓磨さんはこう振り返る。
「祝福されながら(アクセル)全開で走り抜けた。本当に、何ものにも代え難い思い出です」
兄弟の夢がみんなの夢に
「プロジェクトに対して、初めはネガティブな声もあった」と話すのは、長男の宣篤さん。関係者に構想を話すたび、「障がいがあると危ないのではないか」「ケガをしたら責任はどうするのか」——。そんな声が聞こえてきた。
「世間はこう思っているのか、大丈夫かな、という心配はありました。でも、拓磨が実際に走ったことで確実に世の中が変わった。肌で感じましたね」
そして、プロジェクトは思わぬ反響を呼んだ。
兄弟の元に、「どうやったら自分も乗れるのか」という問い合わせが相次ぐようになったのだ。事故や病気などで障がいを負ったライダーたちからの声だった。
治親さんは言う。
「拓磨が7万人の前で走った。『自分もやってみよう』と、経験のない方が真似してケガをしたら大変です。それならば一般の方も乗れるように敷居を下げようと、団体としてSSPを設立することにしたんです」
「時速130キロ。鳥になった気分でした」
こうして体験走行会が始まった。
2020年6月に第1回を開催。その後も、JKAやメーカーなどの支援を受け、サーキットや自動車学校といった運転免許の必要ない環境で走行会を重ねてきた。
2021年6月、千葉県袖ヶ浦市のサーキット場での走行会に参加した関口和正さんは3度目の参加。最初は、友人の付き添いで見学に来ただけのつもりが、「自分ももう一度乗ってみたい」と参加するようになった。バイク事故以来、12年ぶりの走行だった。
回数を重ねるうちに少しずつ慣れ、速度も出せるようになったといい、「この気持ちよさは、何ものにも代え難いです」と話す。
「SSPでは万が一の時に支えてくれるスタッフがいて、安心して参加できる。理学療法士もいる。特別なレーサーだけでなく、僕らみたいな一般の人も参加できる。本当に感謝ですね」
野口輝さんは初参加。オートバイに乗るのは、3年前の事故以来だ。コースを周回した後、「直線で130キロくらい出せた。鳥になった気分でした」と満足そうにはにかんだ。
会場で印象的なのは、運営を支えるボランティアスタッフの姿。知人やSNSなどで声を掛けると、毎回、20〜30人ほどが集まるという。
「みんなオートバイが好きなんだよ」と、スタッフを束ねる杉本卓弥さんが言う。
「好きだから、乗りたいって人には愛を持って接してる。明日は我が身だから。自分もけがをするかもしれない。けがをしても乗りたいと思うから。ライダーが戻ってきた時の笑顔、見た? 子どもみたいな笑顔。びびるよ。僕でも涙が出そうになったもん」
杉本さんはこう続けた。
「好きなことを、『好き』って言ってやり続けるのって大変じゃん。でも、俺は諦めたくない、絶対に。だから、諦めたくない人を応援するんだよ」
次はツーリングを
SSP設立のきっかけとなった拓磨さんは「ケガをした人は『人生、終わった。もう二度とオートバイに乗れない』と絶望する。僕がそうでした」と話す。
「でも、『絶対にあり得ない』と思っていたことが、SSPではできる。不安が、自信に変わる。『乗れた、人間ってすごい』。その時、その人は、今まで笑ったことなかったんじゃないかっていうくらいの笑顔になる。みんなの支えがあれば、チャレンジできるんだと分かる。止まっていた時計の針が、動くわけです」
「その姿を見ていると、気付くことがあるんです」と拓磨さん。
「今はまだおっかなびっくり走ってるけど、よく考えると、オートバイってそもそも倒れない乗り物なんです。ゆっくりでも、走っていれば安定する。つまり、一度走り出してしまえば、脚の障がいはハンデになりません」
「そうなると、障がいって何なんだろうって気付くんですよ」と拓磨さんが続ける。
「障がいって、“人の考え”なんじゃない? 凝り固まった“壁”なんじゃない? 乗り越えられない壁を勝手につくって、『無理だ』って思う。壁で前が見えなくなる。でも、行ける人はいる。どう乗り越えられるのか、その先に何があるんだろうって考える。越えてみたらさ、あると思っていた壁が崩れてる。今まで何だったんだろうって、笑っちゃうくらい」
新型コロナウイルスは、あちこちの“壁”を一気に崩したと感じているという。「車いすを使う人が、普通の仕事に就けなかったのはなぜ?」と拓磨さんが問う。
「会社に行けなかったからですよ。通勤路に段差や階段がある。エレベーターがない。会社に、使えるトイレがない。でも、コロナでリモートワークが普及して、全然関係なくなった。パソコンが使えれば、仕事できるじゃんって気付いた。SSPもつながっています。無理だと思っていたことも、みんなでやれば、できる。僕自身が改めて気付かせてもらえる機会になっています」
走行会の最中、治親さんは次の目標を口にした。それは、SSPのプロジェクトとして長距離の私道を貸し切り、仲間たちとツーリングをすること。
「不可能ではないと思います。今は技術が進歩して、オートバイの安定性は増しています。法律などのルールを変えることは難しいので、僕たちは、できることをやっていきたいと思います」
SSPはこんな言葉を掲げ、活動を続けている。
〈支える人がいれば、社会が変われば、できることは増えていく。身体に障がいを負ったら夢を諦める。やりたいことを諦める。そんな時代はもう終わり〉
障がいがあると、オートバイには乗れない——。高く、厚いと思っていた壁は、いつの間にか消えていた。一人では、兄弟だけでは、できなかったことだ。
※撮影時のみマスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。
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