高校の授業に、病室から
「黒板、ここ見えてるか?」
ここは、大阪市にある常翔学園高校の教室。日本史を教える宮下裕治さんが、教室中央に設置されたタブレット端末に呼び掛けた。1人の生徒が病院から受講しており、画面には、ブレザーを着た少年のキャラクターが映し出されている。
授業は中盤。テーマは平安時代後期に繰り広げられた「源平の争乱」。チョークの文字は黒板全体に広がり始め、宮下さんが新たに板書した場所は、黒板の右端——。
すると、端末が静かな音を立てて右に回転した。動かしたのは病院にいる男子生徒。タブレットの向きを遠隔操作で動かせるのが、この「テレロボ」の特徴だ。
「授業をちゃんと受けられる」
テレロボとは「テレポーテーションアバターロボット」や「テレプレゼンスロボット」「アバターロボット」などと呼ばれる遠隔操作ロボットシステムの略称。
画面越しに互いの顔を見ながら会話できることに加え、首を振ったり、移動したりと遠隔操作で動かすこともできる。ロボットの体を借りて、あたかもそこに“存在”しているかのようなコミュニケーションができるシステムだ。
授業を受けていたのは、同校2年生のけいさん(仮名)。小児がんの治療のため、1年半ほど前から京都府内の病院で治療に臨んでいる。
病院の一室にタブレット端末を置き、教科書を開いてノートを取る。「(テレロボは)すごく使いやすい。授業をちゃんと受けられて助かっています」と言う。
けいさんの母、フミさん(仮名)によれば、けいさんは中学生の頃にがんが見つかった。それが肺に転移して、高校生で再び入院。高校の教頭からテレロボを紹介され、使ってみることにしたという。
「(けいさんが)中学校の時には、学校に行かないと“出席”にしてもらえず、どんなにしんどくても必死になって行っていました。今はテレロボで、病院から授業を受けられる。すごく助かっています」
今は特に体調が悪い時を除き、ほぼすべての授業に出席できている。入院当初はテレロボがなく、タブレット端末のビデオ会議ソフトで授業を受けていたが、気まずい思いをすることもあったという。
けいさんはこう話す。
「板書が見えなくなると声を上げ、周りの生徒に向きを変えてもらっていました。テレロボだと、自分の好きな時に自由に動かせる。気兼ねなく授業を受けられてうれしいです」
自由に動ける自分の“分身”
「電話やメールなど、遠隔地同士をつなぐ方法は従来からあります。一方、テレロボは“ここ”にいながら、自分の代わりの化身(=アバター)が別な場所に存在できる。自分があたかもそこにいるような感覚を持つことができます」
そう話すのは、ニューメディア開発協会でテレロボのプロジェクトのリーダーを務める林充宏さん。同協会はJKAの支援を受け、テレロボを学校生活で活用するための調査や研究、開発事業を2020年度から始めている。
ニューメディア開発協会は「ITを活用した安全・安心で利便性の高い社会の実現」を目指し、1984年に発足した。初代会長はパナソニックの創業者、松下幸之助氏。さまざまな企業でシステム開発を担ってきたメンバーが所属し、先進的なIT技術の開発と普及を進めてきた。
最近では、ICTの利活用により医療・福祉、教育、過疎化対策などの社会課題の解決を図るために、産学官の参加によるシステム実証プロジェクトを多数手掛けている。
そんな彼らが新たなテーマとして選んだのが、「テレロボによる学校生活への参加支援」だ。
背景には「高校教育から取り残された子どもたち」の存在があるという。
高校生は休学6割 退学も1割
取り残されているのは、小児がんなどの病気によって長期療養を余儀なくされた高校生たちだ。
2021年春に発表された国立がん研究センターの小児がん調査によれば、長期療養が必要になった小学生の約8割、中学生の約6割が院内学級などへの「転校」を選ぶのに対し、高校生は「休学」が 61.3%と最多を占め、「退学」も8.8%だった。
さらに、治療で転校・休学・退学を経験した人の中で「『教育の支援制度』を利用しなかった」と答えた高校生は 61.1%にも上った。小学校(6.9%)や中学校(17.2%)と比べると、その差はあまりにも大きい。
「小児がんの治療には数カ月以上はかかります。数カ月でも授業に出席できないと単位が取得できず、同級生たちと一緒に進級・卒業することが難しくなっていました」と話すのは、 京都府立医科大学附属病院の医師、宮地充さん。通信制以外の高校教育で「遠隔授業」が認められるようになったのは、つい最近のことだからだ。
同時双方向授業での単位取得が認定されるようになったのは、2015年。ただ、取得単位には上限をかけられ、受信(病院)側にも教員が付き添うという条件付き。京都市ではこの条件で同時双方向授業を実施していたが、実現のために大きな負担を要した。
状況が動いたのは、2019年。広島県が全国に先駆け、教員がいない場合でも単位を認定することを決め、文部科学省もそれを追認する形で「必ずしも教員配置を要しない」と通知を出した。
宮地さんによれば、病院から受ける授業の単位が認められやすくなったことで、子どもたちの様子が大きく変わったという。
「(単位として認められない)自習と、進級や卒業につながる授業とでは、勉強に向かう姿勢が違います。毎日の授業に参加することで、高校生としての自分を取り戻し、治療にも前向きに取り組めるようになりました」
未来のための“学校生活”
ニューメディア開発協会のテレロボ事業は、病室から授業を受けることにとどまらず、“学校生活”に参加することを目的としている。
療養中の高校生を支援している京都市立桃陽総合支援学校の医教連携コーディネーター、篠原淳子さんは「子どもにとって、遠隔教育は単なる“勉強”ではありません」と、学校生活に参加する重要性を強調する。自分の“分身”であるテレロボを通じて学校生活を続けたことで、同じ高校に復帰できたケースを何人も見てきたという。
「高校生にとって一番残酷なのは、『治療に専念しなさい』と言われること。治療はもちろん大事ですが、子どもには治療後の未来がある。学校とつながっていられる時間、『患者さん』から『高校生』に戻れる時間の存在は、『しんどい時でも、頑張ろう』という気持ちにつながる大切な時間です」
取材を続けていくと、さまざまな機関の、さまざまな人たちがテレロボに関わっていることに気づく。ニューメディア開発協会の林さんは、ある手紙がきっかけで、病院や学校の関係者、IT技術者らと連携するようになったという。
テレロボを使ったある女子生徒の母親が、テレロボ導入に向けて奔走した大阪市立総合医療センターの医療ソーシャルワーカー、大濱江美子さんに送った手紙だ。
そこにはこう手書きされている。
〈友達と顔を見ながらおしゃべりできた時は本当にうれしそうな笑顔で、はずむ声で話していました。(中略)誰でも、すぐに活用できるようになることを願っています〉
「もっと早く使えていたら……」
私たちは大濱さんとその母親、智子さん(仮名)に話を聞かせてもらった。
智子さんの娘は2018年5月、高校2年の時にがんが見つかった。「友達と一緒に進級したい」と、遠隔での授業参加を希望したが、学校側との調整はなかなか進まない。遠隔での授業はできるのか、機器の費用は誰が持つかなど、学校や教育委員会との調整事項があまりに多かった。
智子さんはこう振り返る。
「先生はよくしてくれました。でも、プリントを持ってきてくれても、授業を受けていないと分からない。自分で調べるにしても、体調にむらがあってできない。このままだと進級、卒業できないという焦りと治療の副作用、思うようにならないいらだちで、ベッドで泣いたこともありました」
テレロボを導入できたのは、交渉を始めた9カ月後。初めて機器を使ったとき、バスケ部の友達と楽しそうに話していた姿が印象的だったという。
智子さんは「大濱さんをはじめ、いろいろな人がすごく動いてくれて、娘も私もよかったです」と言いつつも、「もっと早く使えていたら」と声を落とす。
話を聞いていた大濱さんが、智子さんの言葉を継いだ。
「お母さんのお手紙にみなさんが共感してくださって、今では、入院してすぐに使えるようになったんですよ」
先例が積み重ねられてきたことに加え、大阪府では助成制度もできた。新型コロナウイルスの感染拡大でICTの利用が広がったことも、テレロボの普及を後押ししているようだ。
つい最近の事例では、導入を決めた翌週にはテレロボを学校に持ち込むことができたという。
大濱さんが続ける。
「大学受験を目前にして発病した子です。『頑張って勉強したい』と言っています。9カ月もかけられません。お二人の思いをいつも心に置きながら、いろんな子を支援しています。これからも、見守っていただけたらと思います」
智子さんは、大濱さんが語るテレロボの普及を喜びながらも、「でも、」とためらいながら言う。「オンラインが当たり前になったのは、“みんな”が困ったからですよね」、と。娘の時は9カ月もかかった。あんなに苦労したICT機器の導入がコロナ禍であっという間に“当たり前”になったことが、少しだけ心に引っかかるという。
「『みんなが必要だから変わる社会』ではなくなってほしいです。さまざまな事情で教室に行けない子はいます。そうした子たちができる形で授業を受けることが、“特別扱い”ではなく、“当たり前”になってほしいです」
笑顔の連鎖をITで
冒頭で紹介したけいさんは、大学受験に向けて勉強に励んでいる。担任でもある宮下さんによれば、学校内でも上位の成績を維持しているという。
日本史の授業が一番好きだというけいさんは「今はまだ、ちゃんとした目標はないですけど、大学は行けたら行きたい」と話していた。
勉強に励むけいさんの姿を見守る母親は言う。
「周りの子たちと同じ勉強ができていて、そのことが自信になっていると思う。今はすごくやる気になっています」
「“IT”には、無機質なイメージがありませんか?」とニューメディア開発協会の林さんが問い掛ける。
「私たちは、ITは生活を豊かにするためにあるものだと考えています。使ってみて、ITがあってよかったな、と思えるものです。『よかったな』と感じた時、人は笑顔になる。『ITで子どもたちを笑顔にできる』ということを教えてもらい、テレロボの普及に取り組んでいます」
林さんらニューメディア開発協会のメンバーは、テレロボのシステムを開発するiPresence社(本社=神戸市)と共に、けいさんたちの感想を聞きながら、システムの改善を続けている。
冒頭で紹介したブレザー姿の少年のキャラクターもその一つ。闘病中は体調によって、「今は顔を見られたくない」というニーズがあることを知ったからだ。手を挙げるなどのアニメーションやスタンプ機能も搭載し、映像でのやり取りがしやすくなった。見たい場所を拡大できるズーム機能も好評だ。
林さんは言う。
「子どもが笑顔になると、笑顔の連鎖が起きます。周りにいる親たちが喜び、病院のスタッフが喜ぶ。学校の友達や先生、一緒に動いた教育委員会、官公庁の方々も笑顔になる。笑顔の連鎖を広めていく、技術の使い方が大事です」
“技術”はすでにある。改善も続いている。どう使うか、どうすれば使えるかを考えて、つながり始めた大人たちが、病室を“教室”に変え始めている。
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